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CHAPTER 1先史・古代

先史時代と古代の国ぐに

紀元前3600年ごろ 〜 13世紀 (〜13C)

この章の要点

  1. バーンチエン遺跡は、東南アジアで最古級の青銅器文化を示す(世界遺産)。
  2. 6〜11世紀の中部はモン人のドヴァーラヴァティー、南部は海の帝国シュリーウィジャヤの世界だった。
  3. 11〜13世紀、クメール帝国が中部・東北部を支配し、王権・言語・建築に決定的な影響を残した。

タイ族が歴史の表舞台に現れるより前、この土地には別の人びとが暮らし、別の国ぐにが栄えていました。青銅器をつくった先史の村、モン人の仏教都市、海のシルクロードを握った港市国家、そしてアンコールから伸びてきた巨大帝国。スコータイの前史にあたるこの時代を知らないと、タイ文化の「土台」がどこから来たのかが見えません。

1-1 文字のない時代――先史時代のタイ

人類がこの土地で暮らし始めたのは、少なくとも数万年前にさかのぼります。北部の洞窟や川沿いの段丘から旧石器時代の石器が見つかり、メーホンソーン県のスピリット洞窟(ถ้ำผีแมน)では、約1万年前の植物遺存体と磨製石器が発見されました。東北部ウボンラーチャターニー県のパーテーム(ผาแต้ม)の断崖には、3000年ほど前に描かれたとされる、魚を捕る人・牛・手形の壁画が広がっています。

バーンチエン遺跡――東南アジア考古学を書き換えた村

タイの先史時代を語るとき、必ず最初に出てくるのがバーンチエン遺跡(บ้านเชียง)です。ウドンターニー県の小さな村で、1966年、アメリカ人学生スティーブン・ヤングが道でつまずき、地面から顔を出した渦巻文の土器に気づいたことが本格調査のきっかけになりました。

発掘の結果、この村では土器・青銅器・鉄器・稲作が長期にわたって続いていたことが判明します。とくに衝撃を与えたのは青銅器の年代でした。当初は「紀元前3600年」という、メソポタミアに匹敵する古さが報告され、「東南アジアは文明の辺境ではなく、独自の金属器文化の中心だった」という主張が世界的な話題になりました。その後の再測定で年代は見直され、現在の研究では青銅器の開始は前1500年ごろ、鉄器は前500年ごろとする見方が有力です。それでも東南アジア最古級であることに変わりはなく、1992年にユネスコ世界遺産に登録されました。

約4万年前
旧石器時代洞窟・岩陰での狩猟採集。石器が各地で出土
前1万年
スピリット洞窟メーホンソーン。植物利用の痕跡
前4000年
定住と稲作の始まりバーンチエン下層、バーンカオ(カンチャナブリー)
前1500年
青銅器の使用バーンチエンの銅・錫合金。装身具と農具
前500年
鉄器と交易の拡大インドとの海上交易が本格化、ガラス玉が流入
後1〜5世紀
港市国家の出現クローントム(クラビー)にローマ・インドの遺物

📘 用語

バーンチエン土器
赤い渦巻文の彩文土器。副葬品として遺体とともに埋葬された。タイの博物館の定番展示。
スワンナプームสุวรรณภูมิ
「黄金の土地」。古代インドの文献に現れる東方の地名で、東南アジア大陸部を指すと考えられる。バンコクの国際空港名の由来。
洞窟壁画
パーテーム(ウボン)、プラトゥーパー(ランパーン)など。狩猟・儀礼の場面が描かれる。

💭 先史時代を「タイ人の歴史」と呼べるか

バーンチエンの人びとがタイ族だったという証拠はありません。彼らはタイ族が南下してくるはるか前に、この土地で暮らしていた別の集団です。

それでもタイの教科書がこの遺跡を大きく扱うのは、「タイという土地は古くから高度な文化をもっていた」という国土中心の歴史観に立つためです。民族の歴史(誰の歴史か)と、土地の歴史(どこの歴史か)は別のものだ、という視点をもっておくと、タイ史の議論が理解しやすくなります。

1-2 海の道と「黄金の土地」

紀元前後、インドと中国を結ぶ海の交易路が本格的に開かれると、マレー半島は世界史の交差点になりました。当時の船はマラッカ海峡を通るより、半島の細いくびれを陸路で越えるほうが早かったため、半島の東西両岸に港が生まれます。クラビー県のクローントム(คลองท่อม)遺跡からは、ローマのランプ、インドの印章、地中海系のガラス玉が出土しました。

この交易とともに入ってきたのが、インドの宗教と国家観です。ヒンドゥー教と仏教、サンスクリット語、王を神になぞらえる思想、そして「王国(ラーチャ)」という統治の型。これらが東南アジア各地の首長たちに採用されていく現象を、研究者は「インド化」と呼びます。ただしこれは征服ではなく、現地の支配者が自ら選び取った文化の受容でした。

⚠️ 「インド化」=インドの植民地ではない

東南アジアがインドの政治的支配を受けた事実はありません。現地の首長が、権威づけのためにインドの宗教・文字・儀礼を輸入したのです。日本が中国から律令や漢字を取り入れたのと似た構図と考えるとわかりやすいでしょう。

1-3 ドヴァーラヴァティー――モン人の仏教都市群

6世紀ごろから11世紀にかけて、チャオプラヤー川下流域に栄えたのがドヴァーラヴァティー(ทวารวดี)です。担い手はモン人(มอญ)――現在のミャンマー南部からタイ中部にかけて分布した民族で、上座部仏教を早くから受け入れていました。

ドヴァーラヴァティーは単一の王国ではなく、環濠に囲まれた都市が連なる緩やかなまとまりだったと考えられています。代表的な都市は、ナコンパトム、ウートーン(スパンブリー県)、クーブア(ラーチャブリー県)、そして中部の内陸にあるシーテープ(ศรีเทพ/ペッチャブーン県)。シーテープは2023年に世界遺産へ登録され、いま最も注目される遺跡のひとつです。

ドヴァーラヴァティーを示す3つの手がかり

法輪(ธรรมจักร)石の車輪と鹿の像。ブッダの初転法輪を象徴。ナコンパトムなどで多数出土
銀貨の銘文「ドヴァーラヴァティー王の功徳」とサンスクリットで刻まれた銀貨
中国側の記録唐の玄奘・義浄が記す「堕羅鉢底(ドゥオルオボーディ)」国

ドヴァーラヴァティーがタイ史に残した最大の遺産は、上座部仏教です。のちにスコータイやアユタヤが受け入れる仏教はスリランカから新たに導入された系統ですが、その土壌はすでにモン人がこの土地に耕していました。美術面でも、大きな目と厚い唇をもつ独特の「ドヴァーラヴァティー様式」の仏像が、後のタイの仏像に影響を与えています。

📍 ナコンパトムへ日帰りで

バンコクから西へ約60キロ、車で1時間ほどのナコンパトムには、高さ120メートルのプラパトムチェディ(พระปฐมเจดีย์)がそびえています。「最初の仏塔」という名のとおり、ドヴァーラヴァティー時代の仏塔の上に、ラーマ4世が現在の巨大な塔をかぶせて再建したものです。隣接する国立博物館には、当時の法輪や仏像が並びます。

1-4 シュリーウィジャヤ――海を支配した帝国

同じころ、マレー半島から南の海では、まったく別の勢力が力をもっていました。スマトラ島のパレンバンを拠点に、7世紀から13世紀にかけてマラッカ海峡の交易を握ったシュリーウィジャヤ(ศรีวิชัย)です。中国へ向かう船は、この海峡で必ず彼らの許可を得なければなりませんでした。

シュリーウィジャヤの版図は現在のタイ南部にも及び、スラートターニー県のチャイヤー(ไชยา)、そしてナコンシータンマラート(=タンブラリンガ)が主要な港でした。この地域で信仰されたのは、ドヴァーラヴァティーとは異なる大乗仏教で、チャイヤーで出土した観音菩薩像はタイ美術史の傑作として国立博物館に展示されています。

ドヴァーラヴァティー
シュリーウィジャヤ
時期
6〜11世紀
7〜13世紀
場所
チャオプラヤー川下流の内陸
マレー半島と島嶼部の港
担い手
モン人
マレー系の海洋民
宗教
上座部仏教
大乗仏教(のちイスラム化)
経済
稲作と地域交易
海上交易の中継と関税
現在の遺産
法輪、プラパトムチェディ、シーテープ
チャイヤーの仏塔、観音菩薩像

1-5 ハリプンチャイ――北部のモン人王国

北部の盆地にも、モン人の王国がありました。現在のラムプーン(チエンマイの南25キロ)にあったハリプンチャイ(หริภุญชัย)です。伝承によれば、8〜9世紀ごろ、ロッブリー(ラウォー)から迎えられたチャーマテーウィー女王(พระนางจามเทวี)が建国したとされます。女性の建国者という点でも、タイの歴史のなかで際立つ存在です。

ハリプンチャイは仏教文化と交易で栄えましたが、1281年、タイ族の王マンラーイに攻略され、その領域はラーンナー王国に吸収されます。つまり北部では、モン人の都市文化がそのままタイ族の王国の土台になったのです。

1-6 クメール帝国の時代――タイ文化の設計図

11世紀から13世紀にかけて、いまのタイの中部・東北部の広い範囲は、アンコールを都とするクメール帝国の勢力下に入りました。スーリヤヴァルマン2世(在位1113〜1150ごろ)はアンコールワットを建て、ジャヤヴァルマン7世(在位1181〜1218ごろ)は帝国の最大版図を実現します。

ジャヤヴァルマン7世は、王道(王の道路網)を整備し、沿道に宿駅と「アローギヤサーラー(施療院)」を置きました。その遺構は、東北部のピマーイ(พิมาย)やパノムルン(พนมรุ้ง)、そして中部のロッブリー(ลพบุรี=ラウォー)に、いまも残っています。

クメールの支配は、タイに深い痕跡を残しました。王を神とみなす神王思想、即位や耕作開始のバラモン儀礼、宮廷で用いる特別な語彙(王室用語=ラーチャサップ)、そして塔堂プラーンの建築様式。これらはアユタヤ、さらにはバンコク王朝にまで受け継がれます。現在のタイ王室の儀式にバラモン(プラーム)が登場するのは、この時代の遺産です。

クメール帝国がタイに残したもの

王権の観念神王(デーワラーチャー)と即位儀礼・バラモン官
行政と語彙王室用語(ラーチャサップ)や官職名の多くがクメール語由来
建築と美術プラーン(塔堂)、砂岩の回廊、ラテライト建築
文字クメール文字を通じてインド系文字が伝わる

💭 シーテープ――2023年の新しい世界遺産

ペッチャブーン県のシーテープ遺跡は、ドヴァーラヴァティーとクメールの両方の層をもつ都市遺跡です。二重の環濠、巨大な仏塔(カオクランノーク)、そして独特の様式の石造彫刻が出土しています。

2023年9月、タイにとって20年ぶりとなる文化遺産としてユネスコ世界遺産に登録されました。バンコクから車で約4時間。まだ観光地化されておらず、静かに歩ける遺跡です。

10〜13世紀の勢力図を地図で見る →

まとめ

  • バーンチエンは東南アジア最古級の青銅器文化。年代論争を経て、前1500年ごろの開始が有力。
  • 6〜11世紀の中部はモン人のドヴァーラヴァティー。上座部仏教の土壌をつくった。
  • 南部はシュリーウィジャヤの海上帝国の一部で、大乗仏教が栄えた。
  • 11〜13世紀のクメール支配は、王権思想・宮廷語彙・建築様式という「設計図」をタイに残した。
  • 北部のハリプンチャイはモン人の王国で、1281年にラーンナーへ吸収された。

章末チェック

1. バーンチエン遺跡はどの県にあり、何が評価されて世界遺産となったか。

ウドンターニー県。東南アジア最古級の青銅器文化と長期の定住文化を示す点

2. ドヴァーラヴァティーの担い手はどの民族で、どの宗教を信仰していたか。

モン人、上座部仏教

3. シュリーウィジャヤの拠点はどこにあり、タイ南部のどの都市がその一部だったか。

スマトラ島パレンバン。チャイヤーやナコンシータンマラート

4. クメール帝国がタイに残した影響を、宗教・言語・建築の面から1つずつ挙げなさい。

神王思想(バラモン儀礼)/王室用語ラーチャサップ/プラーン建築

5. ハリプンチャイを建国したと伝えられる人物の名を答えなさい。

チャーマテーウィー女王

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