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タイの歴史 年表

バーンチエンの青銅器から現在まで、79件の出来事を年代順に並べています。 それぞれ、詳しく書いてある章へのリンクをつけました。

前1500年
バーンチエンで青銅器の使用が始まる銅・錫の合金による装身具と農具。1992年に世界遺産に登録された。当初は前3600年と報告されたが、再測定で見直された。 → 第1章 先史時代と古代の国ぐに
前500年
鉄器と交易の拡大インドとの海上交易が本格化し、ガラス玉が流入する。 → 第1章 先史時代と古代の国ぐに
100年
港市国家の出現クラビー県のクローントム遺跡からローマのランプ、インドの印章が出土。「インド化」が始まる。 → 第1章 先史時代と古代の国ぐに
600年
ドヴァーラヴァティーの成立チャオプラヤー川下流域にモン人の仏教都市群。上座部仏教の土壌をつくった。 → 第1章 先史時代と古代の国ぐに
700年
シュリーウィジャヤが海峡を握るスマトラ島パレンバンを拠点に、マラッカ海峡の交易を支配。タイ南部のチャイヤーも版図に。 → 第1章 先史時代と古代の国ぐに
800年
ハリプンチャイ建国(伝承)ラムプーン。チャーマテーウィー女王が建国したと伝えられる、北部のモン人王国。 → 第1章 先史時代と古代の国ぐに
1113年
クメール帝国の最盛期へスーリヤヴァルマン2世がアンコールワットを建立。のちジャヤヴァルマン7世が最大版図を実現し、タイ中部・東北部を勢力下に置く。 → 第1章 先史時代と古代の国ぐに
1238年
スコータイ王朝の成立2人のタイ族首長がクメール総督を追放。シーインタラーティットが即位した。タイの学校で最初に暗記する年。 → 第2章 タイ族の南下とスコータイ王朝
1259年
マンラーイ即位チエンセーンのンガーンヤーン家。周囲のムアンを統合していく。 → 第3章 ラーンナーと周辺の王国
1279年
ラームカムヘーン大王の即位スコータイ第3代。領土を大きく広げ、タイ史でもっとも有名な王のひとりとなる。 → 第2章 タイ族の南下とスコータイ王朝
1281年
ハリプンチャイ征服マンラーイがモン人の王国を併合。北部ではモン人の都市文化がそのままタイ族の王国の土台になった。 → 第3章 ラーンナーと周辺の王国
1283年
タイ文字の制定碑文によれば、ラームカムヘーンがラーイスータイ(タイの文字)をつくった。クメール文字を基礎に、声調記号を加えた発明。 → 第2章 タイ族の南下とスコータイ王朝
1292年
ラームカムヘーン大王碑文の年「水には魚あり、田には稲あり」。2003年にユネスコ「世界の記憶」に登録。真贋論争もある。 → 第2章 タイ族の南下とスコータイ王朝
1296年
チエンマイ建設ピン川のほとりに新しい都。ラーンナー(=百万の水田)王国の中心となる。「三王の同盟」の伝承。 → 第3章 ラーンナーと周辺の王国
1345年
リタイ王が『三界経』を著す地獄・人間界・天界を描くタイ最古の文学作品。善悪の行いが来世を決めるという世界観を社会に浸透させた。 → 第2章 タイ族の南下とスコータイ王朝
1351年
アユタヤ王朝の建国ウートンがラーマーティボーディー1世として即位。三つの川が合流する中州に、417年つづく大国が生まれた。 → 第4章 アユタヤ王朝の成立と発展
1353年
ラーンサーン建国ファーグム王がメコン東岸に「百万の象」の国を建てる。現在のラオスの原型。 → 第3章 ラーンナーと周辺の王国
1378年
スコータイがアユタヤに服属実質的にアユタヤの属国となる。 → 第2章 タイ族の南下とスコータイ王朝
1431年
アンコール攻略ボーロマラーチャーティラート2世がクメール帝国の都を攻略。バラモン・舞踊家・書記を連れ帰り、宮廷文化が移植された。 → 第4章 アユタヤ王朝の成立と発展
1438年
スコータイを完全併合王家の血筋が絶え、200年の王朝が終わる。 → 第2章 タイ族の南下とスコータイ王朝
1441年
ティローカラート即位ラーンナー最盛期の王。アユタヤと長い戦争を戦い、仏教の大保護者となる。 → 第3章 ラーンナーと周辺の王国
1448年
トライローカナート王の大改革二大長官+四部制の中央集権的な行政と、サクディナー制を確立。この骨格は約400年つづいた。 → 第4章 アユタヤ王朝の成立と発展
1477年
仏典結集(第8回)チエンマイのワット・チェットヨートでパーリ語三蔵を校訂。ラーンナーは東南アジアの仏教学の中心地に。 → 第3章 ラーンナーと周辺の王国
1511年
ポルトガル人の来訪マラッカ占領後、使節がアユタヤへ。1516年に通商条約。火縄銃と大砲、砲術教官がもたらされた。 → 第4章 アユタヤ王朝の成立と発展
1548年
スリヨータイ王妃の戦死男装して象に乗り、夫の王を守って戦死したと伝えられる。「国を守った女性」の象徴。 → 第4章 アユタヤ王朝の成立と発展
1558年
ラーンナーがビルマの支配下にバインナウン王によるチエンマイ陥落。以後およそ200年、北部はビルマの統治下に置かれる。 → 第3章 ラーンナーと周辺の王国
1569年
アユタヤ陥落(1回目)内部分裂を突かれ、ビルマの属国となる。ピッサヌロークのマハータンマラーチャーがビルマ側についたことが決定的だった。 → 第4章 アユタヤ王朝の成立と発展
1584年
ナレースワンの独立宣言ビルマの内紛を見て、遠征先のクレーンで独立を宣言。以後たびたびビルマ軍を撃退する。 → 第5章 国際都市アユタヤとその滅亡
1593年
ノーンサーラーイの戦いビルマ王太子ミンチースワと象上で一騎討ちを行い、討ち取ったと伝えられる。1月18日「タイ国軍記念日」の由来。 → 第5章 国際都市アユタヤとその滅亡
1600年
日本人町の形成朱印船貿易とともに、島の南東岸に日本人町(バーンイープン)。最盛期には1,000〜1,500人が暮らしたという。 → 第5章 国際都市アユタヤとその滅亡
1630年
山田長政の死ソンタム王に仕えオークヤー・セーナーピムックの位を得たが、後継争いに巻き込まれ、南部で毒殺されたとされる。 → 第5章 国際都市アユタヤとその滅亡
1656年
ナーラーイ王の即位ロッブリーを第二の王都とし、天文台を築き、フランスの宣教師や技術者を厚遇した。 → 第5章 国際都市アユタヤとその滅亡
1686年
コーサーパーン使節、ヴェルサイユへアユタヤの使節がルイ14世の宮廷を訪れ、フランスで大きな話題となった。 → 第5章 国際都市アユタヤとその滅亡
1688年
宮廷革命/フランス撤退ペートラーチャーがクーデターで実権を掌握。重臣フォールコンは処刑され、フランス軍は撤退した。以後ヨーロッパと距離を置く。 → 第5章 国際都市アユタヤとその滅亡
1752年
ビルマにコンバウン朝が成立アラウンパヤーが統一し、膨張を開始。15年後のアユタヤ滅亡へつながる。 → 第5章 国際都市アユタヤとその滅亡
1767年
アユタヤ陥落(2回目)/トンブリー王朝4月7日、14か月の包囲の末に王都は壊滅。同年12月、タークシンがトンブリーで即位した。 → 第6章 タークシン王とトンブリー王朝
1774年
チエンマイの解放タークシンとラムパーンの首長カーウィラが、200年におよぶビルマ支配から北部を奪回した。 → 第6章 タークシン王とトンブリー王朝
1779年
エメラルド仏をヴィエンチャンから運ぶラオス遠征。王権の象徴としてトンブリーに置かれ、いまはワット・プラケーオに安置されている。 → 第6章 タークシン王とトンブリー王朝
1782年
バンコク遷都・ラーマ1世即位4月21日、チャクリー将軍が川の東岸に新しい都を開く。設計思想は「アユタヤをもう一度つくる」ことだった。 → 第7章 バンコク遷都とラッタナコーシン初期
1785年
九軍の戦いビルマのボードーパヤー王が9つの軍で五方面から侵攻。撃退により、以後ビルマがシャム中枢を脅かすことはなくなった。 → 第7章 バンコク遷都とラッタナコーシン初期
1805年
三印法典の編纂散逸したアユタヤの法典を全面校訂。三長官の印を押して正本とした。1908年まで100年以上シャムの基本法だった。 → 第7章 バンコク遷都とラッタナコーシン初期
1826年
アヌウォンの反乱ヴィエンチャン王が南下するが敗走。シャム軍はヴィエンチャンを破壊し、住民をメコン右岸へ移住させた。現在のイサーンの原型。 → 第7章 バンコク遷都とラッタナコーシン初期
1851年
ラーマ4世(モンクット)即位27年間の僧侶生活で西洋の知識を身につけた王。「戦えば負ける、ならば譲れるものを譲る」が基本方針。 → 第8章 近代化と植民地の圧力
1855年
バウリング条約王室の貿易独占の廃止、輸入関税一律3%、治外法権。不平等条約であると同時に、米輸出国タイの出発点でもあった。 → 第8章 近代化と植民地の圧力
1868年
ラーマ5世(チュラーロンコーン)即位15歳で即位。皆既日食を自ら計算した父ラーマ4世は、その遠征でマラリアに倒れた。 → 第8章 近代化と植民地の圧力
1873年
跪拝の廃止親政開始の宣言。「人は互いに敬意をもって向き合うべきだ」。 → 第8章 近代化と植民地の圧力
1892年
12省制とテーサーピバーン制内務省を中心とする中央集権体制。モントン(州)-県-郡-区-村の階層に中央から官僚を派遣した。 → 第8章 近代化と植民地の圧力
1893年
パークナム事件7月13日、フランス砲艦がチャオプラヤー川を遡上し王宮の前に投錨。メコン左岸(現ラオス)を割譲した。 → 第8章 近代化と植民地の圧力
1905年
奴隷制の全廃/徴兵令1874年から40年かけた段階的な解体が完了。流血なしに身分制を解いた事績として、タイの教科書がもっとも誇るもののひとつ。 → 第8章 近代化と植民地の圧力
1909年
英シャム条約ケダー・ペルリス・クランタン・トレンガヌをイギリスへ。パタニはシャム領に。現在の深南部問題の起点となる。 → 第8章 近代化と植民地の圧力
1913年
姓の制定それまで庶民に姓はなかった。ラーマ6世が自ら数千の姓を考案したという。 → 第9章 ナショナリズムと1932年立憲革命
1917年
三色旗の制定・第一次世界大戦参戦赤=国家、白=宗教、青=国王。連合国側で参戦し、戦勝国となったことで不平等条約の改正交渉が動き出した。 → 第9章 ナショナリズムと1932年立憲革命
1932年
立憲革命6月24日、人民党が無血クーデターで150年つづいた絶対王政を終わらせた。現代タイ政治のすべての論点がこの日から始まる。 → 第9章 ナショナリズムと1932年立憲革命
1935年
ラーマ7世の退位「いかなる個人にも、いかなる一党派にも、国民の声を聞かずに権力をふるうために譲るつもりはない」。 → 第9章 ナショナリズムと1932年立憲革命
1939年
国名を「タイ」へ6月24日、シャムからタイへ。「タイ族の住む土地はすべてタイのもの」という汎タイ主義の表れでもあった。 → 第10章 ピブーン時代と第二次世界大戦
1941年
日本軍の進駐12月8日未明、マレー半島とタイ南部に上陸。数時間の戦闘のあと通過を承認し、12月21日に日タイ同盟条約を結んだ。 → 第10章 ピブーン時代と第二次世界大戦
1942年
英米へ宣戦布告/泰緬鉄道の建設セーニー駐米大使は宣戦布告文書を米政府に手渡さなかった。この一事が戦後の運命を分ける。 → 第10章 ピブーン時代と第二次世界大戦
1945年
平和宣言8月16日、「宣戦布告は憲法違反であり無効」と宣言。自由タイ運動の実績もあり、タイは敗戦国とならなかった。 → 第10章 ピブーン時代と第二次世界大戦
1946年
ラーマ8世の謎の死/ラーマ9世即位6月9日、王宮の自室で頭部を撃たれて死亡。弟プーミポンが18歳で即位した。同年12月、タイは国連に加盟。 → 第10章 ピブーン時代と第二次世界大戦
1954年
SEATO発足(本部バンコク)東南アジア条約機構。タイは朝鮮戦争にアジアで最初に派兵し、対米同盟に踏み切った。 → 第11章 冷戦と開発独裁
1957年
サリットのクーデター不正選挙への抗議の混乱を口実に、陸軍元帥サリット・タナラットが権力を掌握した。 → 第11章 冷戦と開発独裁
1958年
サリットの自己クーデターと「開発」憲法を廃止し議会を解散、政党を禁止。パッタナー(開発)と王室の権威を統治の柱に据えた。 → 第11章 冷戦と開発独裁
1960年
国家の日が12月5日へ6月24日(立憲革命記念日)から国王誕生日へ。正統性の源が人民党の革命から王室へ移った。 → 第11章 冷戦と開発独裁
1965年
タイ共産党の武装闘争開始8月7日、ナコンパノム県で「最初の銃声」。山岳地帯のゲリラ戦は20年近く続いた。 → 第11章 冷戦と開発独裁
1967年
ASEAN発足8月8日、バンコク宣言。タナット・コーマン外相が主導し、5か国で発足した。 → 第11章 冷戦と開発独裁
1973年
10月14日事件50万人の行進と衝突で77人が死亡。国王の介入で「三人の暴君」は国外へ去り、軍事政権が倒れた。 → 第12章 民主化運動と、その揺り戻し
1976年
10月6日事件タマサート大学で警察と右翼組織が学生を襲撃。同日のクーデターで民主政治は終わった。誰ひとり刑事責任を問われていない。 → 第12章 民主化運動と、その揺り戻し
1980年
首相府命令66/2523「共産主義に勝つのは軍事力ではなく政治である」。投降者への恩赦が、武装闘争終息の決定打となった。 → 第12章 民主化運動と、その揺り戻し
1985年
プラザ合意と日本企業の進出円高に苦しむ日本企業が生産拠点をタイへ。農業国から輸出向け製造業の国への転換が始まる。 → 第13章 半民主主義から経済危機へ
1992年
暗黒の5月非議員のまま首相となったスチンダーへの抗議に軍が発砲。国王の召見を経てスチンダーは辞任し、軍は兵舎に戻った。 → 第13章 半民主主義から経済危機へ
1997年
アジア通貨危機と「人民憲法」7月2日のバーツ変動相場制移行が引き金に。翌年の成長率は−7.6%。同じ年、公選の起草議会による1997年憲法が公布された。 → 第13章 半民主主義から経済危機へ
2001年
タクシン政権の成立30バーツ医療、村落基金、OTOP。「農村が初めて自分たちの政府をもった」。 → 第14章 タクシン以後の20年と現在のタイ
2006年
9月19日クーデタータクシンが国連総会で不在のあいだに軍が政権を掌握。以後20年つづく黄と赤の対立が始まる。 → 第14章 タクシン以後の20年と現在のタイ
2010年
赤シャツの強制排除3〜5月、バンコク中心部を占拠した赤シャツを軍が排除。90人以上が死亡した。 → 第14章 タクシン以後の20年と現在のタイ
2014年
5月22日クーデター陸軍司令官プラユットがNCPO政権を樹立。2017年憲法で上院250議席を軍が任命する仕組みを導入した。 → 第14章 タクシン以後の20年と現在のタイ
2016年
ラーマ9世の崩御10月13日。在位70年126日は当時の世界最長だった。国民は1年間の服喪に入った。 → 第14章 タクシン以後の20年と現在のタイ
2020年
若い世代の抗議行動新未来党の解散を引き金に全国へ拡大。8月、タマサート大学の集会で王室に関する制度改革が公然と論じられた。 → 第14章 タクシン以後の20年と現在のタイ
2023年
前進党が第一党に5月の総選挙。しかし軍が任命した上院の反対で首相を出せなかった。同じ日にタクシンが15年ぶりに帰国。 → 第14章 タクシン以後の20年と現在のタイ
2026年
総選挙と憲法改正国民投票2月8日。改憲手続きを進めることが約6割の賛成で承認された。タイ誇り党が第一党となり、3月にアヌティンが首相に再任された。 → 第14章 タクシン以後の20年と現在のタイ

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