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タイの歴史 人物30人

王・僧・革命家・首相。タイ史を動かした30人を、時代順にまとめました。

📜 ラームカムヘーン大王 พ่อขุนรามคำแหงมหาราช

スコータイ第3代 在位 1279ごろ–1298ごろ
タイ文字の制定(1283)、領土の拡大、スリランカ系上座部仏教の導入。「水には魚あり、田には稲あり」の碑文で知られる。
→ 第2章 タイ族の南下とスコータイ王朝

📖 リタイ王 พระมหาธรรมราชาที่ 1

スコータイ第5代 在位 1347–1368ごろ
『三界経』を著し、自ら出家して「仏法の王」であることを示した。武力ではなく仏法で権威を立て直そうとした王。
→ 第2章 タイ族の南下とスコータイ王朝

🏔️ マンラーイ王 พญามังราย

ラーンナー建国者 在位 1259–1311ごろ
1296年にチエンマイを建設。1281年にハリプンチャイを攻略し、北部にラーンナー王国を確立した。
→ 第3章 ラーンナーと周辺の王国

☸️ ティローカラート王 พระเจ้าติโลกราช

ラーンナー最盛期の王 在位 1441–1487
アユタヤと長く戦い、1477年にワット・チェットヨートで仏典結集(三蔵の校訂)を主催した。
→ 第3章 ラーンナーと周辺の王国

🏛️ ラーマーティボーディー1世 สมเด็จพระรามาธิบดีที่ 1

アユタヤ建国者(ウートン) 在位 1351–1369
1351年、三川合流点の中州にアユタヤを開いた。都の名は『ラーマーヤナ』の理想都市アヨーディヤーに由来する。
→ 第4章 アユタヤ王朝の成立と発展

⚖️ トライローカナート王 สมเด็จพระบรมไตรโลกนาถ

アユタヤ第8代 在位 1448–1488
二大長官(マハータイ/カラーホム)と四部制、サクディナー制、宮廷法を確立。この骨格は1892年まで約400年つづいた。
→ 第4章 アユタヤ王朝の成立と発展

🐘 スリヨータイ สุริโยทัย

アユタヤの王妃 – 1548
1548年、男装して象に乗り、夫の王を守って戦死したと伝えられる。タイで「国を守った女性」の象徴。
→ 第4章 アユタヤ王朝の成立と発展

⚔️ ナレースワン大王 สมเด็จพระนเรศวรมหาราช

アユタヤの王 在位 1590–1605
少年時代を人質としてビルマで過ごし、敵の軍制を学んだ。1584年に独立を回復、1593年に象上の一騎討ちで王太子を討った。
→ 第5章 国際都市アユタヤとその滅亡

🔭 ナーラーイ王 สมเด็จพระนารายณ์

アユタヤの王 在位 1656–1688
ロッブリーに第二の宮殿と天文台を築き、フランスと交流。アユタヤの国際性が頂点に達した治世。
→ 第5章 国際都市アユタヤとその滅亡

🧭 フォールコン เจ้าพระยาวิชาเยนทร์

ギリシア人重臣 1647–1688
英国東インド会社の通訳から身を起こし、ナーラーイ王の財務・外交の実権を握った。1688年の宮廷革命で処刑。
→ 第5章 国際都市アユタヤとその滅亡

🎌 山田長政 ยามาดะ นางามาซะ

日本人町の頭領 – 1630
駿河出身と伝わる。義勇隊を率いてソンタム王に仕え、オークヤー・セーナーピムックの位を得た。「日本人の王」ではない。
→ 第5章 国際都市アユタヤとその滅亡

🪷 ボーロマコート王 สมเด็จพระเจ้าอยู่หัวบรมโกศ

アユタヤ後期の王 在位 1733–1758
文学・美術・仏教が花開いた平和な時代。1753年にスリランカへ僧を派遣し、シャム派(シャム・ニカーヤ)を創設した。
→ 第5章 国際都市アユタヤとその滅亡

🔥 タークシン王 สมเด็จพระเจ้าตากสินมหาราช

トンブリー王朝 在位 1767–1782
潮州系中国人の父をもつ地方長官。500人で包囲下のアユタヤを脱出し、3年で五つに割れた国を再統一した。
→ 第6章 タークシン王とトンブリー王朝

👑 ラーマ1世 พระพุทธยอดฟ้าจุฬาโลก

チャクリー朝初代 在位 1782–1809
バンコク遷都(1782)、三印法典(1805)、仏典結集(1788)。失われたアユタヤの「型」を取り戻すことが課題だった。
→ 第7章 バンコク遷都とラッタナコーシン初期

✒️ スントーンプー สุนทรภู่

詩人 1786–1855
ラーマ2世の宮廷に仕えた。物語詩『プラ・アパイマニー』はタイ文学の最高傑作とされ、1986年にユネスコが顕彰した。
→ 第7章 バンコク遷都とラッタナコーシン初期

⛵ ラーマ3世 พระนั่งเกล้าเจ้าอยู่หัว

チャクリー朝3代 在位 1824–1851
対中ジャンク貿易と徴税請負制で財政を好転させた実務家。ワット・ポーに知識を石板で刻ませ「タイ最初の大学」とした。
→ 第7章 バンコク遷都とラッタナコーシン初期

🕯️ アヌウォン เจ้าอนุวงศ์

ヴィエンチャン王 在位 1805–1828
1826年にシャムへ反旗を翻すが敗走。ラオスでは民族的英雄、タイでは反乱者。同じ事件が国境の両側で違う物語になる例。
→ 第7章 バンコク遷都とラッタナコーシン初期

🌘 ラーマ4世(モンクット) พระจอมเกล้าเจ้าอยู่หัว

チャクリー朝4代 在位 1851–1868
27年の僧侶生活でパーリ語・英語・天文学を学んだ。1868年の皆既日食を自力で計算して的中させ、その遠征で命を落とした。
→ 第8章 近代化と植民地の圧力

🚂 ラーマ5世(チュラーロンコーン) พระจุลจอมเกล้าเจ้าอยู่หัว

チャクリー朝5代 在位 1868–1910
跪拝の廃止、奴隷制の全廃(1905)、12省制とテーサーピバーン制(1892)。近代的な中央集権国家をつくり上げた大王。
→ 第8章 近代化と植民地の圧力

🗂️ ダムロン親王 สมเด็จฯ กรมพระยาดำรงราชานุภาพ

内務大臣 1862–1943
ラーマ5世の異母弟。テーサーピバーン制の設計者であり、「タイ歴史学の父」とも呼ばれる。
→ 第8章 近代化と植民地の圧力

🎭 ラーマ6世(ワチラーウット) พระมงกุฎเกล้าเจ้าอยู่หัว

チャクリー朝6代 在位 1910–1925
オックスフォード帰り。「国家・宗教・国王」の三本柱、三色旗(1917)、姓の制定(1913)、義務教育(1921)で国民を作った。
→ 第9章 ナショナリズムと1932年立憲革命

📜 ラーマ7世(プラチャーティポック) พระปกเกล้าเจ้าอยู่หัว

チャクリー朝7代 在位 1925–1935
世界恐慌と緊縮のなかで立憲革命を迎え、退位ではなく立憲君主としての留位を受け入れた。1935年に退位。
→ 第9章 ナショナリズムと1932年立憲革命

📐 プリーディー・パノムヨン ปรีดี พนมยงค์

人民党の文民指導者 1900–1983
パリ留学の法学者。憲法を起草し、戦時中は摂政として自由タイ運動を指揮した。国民経済計画案は「共産主義」と非難された。
→ 第9章 ナショナリズムと1932年立憲革命

🎖️ ピブーンソンクラーム แปลก พิบูลสงคราม

首相 1897–1964
ラッタニヨム(国家信条)で生活様式まで指導し、1939年に国号をタイへ変更。日本と同盟し、戦後は対米同盟に踏み切った。
→ 第10章 ピブーン時代と第二次世界大戦

✉️ セーニー・プラーモート หม่อมราชวงศ์เสนีย์ ปราโมช

駐米大使・首相 1905–1997
「これは国民の意思ではない」として、対米宣戦布告文書を米政府に手渡さなかった。タイが敗戦国扱いを免れた立役者。
→ 第10章 ピブーン時代と第二次世界大戦

🎷 ラーマ9世(プーミポン) ภูมิพลอดุลยเดช

チャクリー朝9代 在位 1946–2016
在位70年126日。地方巡幸と4,000件を超える王室開発プロジェクト、そして1973年・1992年の政治的仲裁で知られる。
→ 第11章 冷戦と開発独裁

🏗️ サリット・タナラット สฤษดิ์ ธนะรัชต์

首相 1908–1963
憲法・議会・政党を停止し、革命団布告第17条で裁判なしの処罰を可能にした。「開発(パッタナー)」と王室の権威で統治した。
→ 第11章 冷戦と開発独裁

🕊️ プレーム・ティンスーラーノン เปรม ติณสูลานนท์

首相・枢密院議長 1920–2019
選挙に一度も出ないまま8年間首相を務めた「半民主主義」の体現者。命令66/2523で共産党の武装闘争を終わらせた。
→ 第13章 半民主主義から経済危機へ

🪷 チャムロン・シームアン จำลอง ศรีเมือง

元バンコク都知事 1935–
1992年5月、非議員のまま首相となったスチンダーに抗議して無期限ハンガーストライキに入り、数十万人の運動を導いた。
→ 第13章 半民主主義から経済危機へ

📱 タクシン・チナワット ทักษิณ ชินวัตร

首相 1949–
携帯電話事業で財を成した実業家。30バーツ医療・村落基金・OTOPで農村の支持を得たが、2006年のクーデターで失脚した。
→ 第14章 タクシン以後の20年と現在のタイ

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