タクシン以後の20年と現在のタイ
2001年 〜 2026年 (2001–2026)
この章の要点
- タクシン政権は農村向けの再分配政策で圧倒的な支持を得た一方、権力集中が批判された。
- 2006年と2014年のクーデター、黄シャツと赤シャツの対立が20年にわたって続いた。
- 2016年にラーマ9世が崩御し、2020年代には若い世代が新しい争点を提起した。
21世紀のタイ政治は、ひとつの問いをめぐって揺れ続けてきました。選挙で多数を得た政府と、司法・軍・独立機関の判断と、どちらが優先されるのか。2度のクーデター、2度の大規模流血、そして憲法裁判所による相次ぐ首相の失職。そしてラーマ9世の崩御。バンコクで暮らすいま、ニュースを理解するために不可欠な20年です。
14-1 タクシン時代(2001〜2006)
タクシン・チナワット(ทักษิณ ชินวัตร)は、警察官僚から携帯電話事業で財を成した実業家です。1998年にタイ・ラック・タイ党(TRT=タイ人はタイ人を愛する党)を結成し、1997年の危機で傷ついた国民に、明確な政策パッケージを提示しました。
| 政策 | 内容 | 評価 |
|---|---|---|
| 30バーツ医療 | 1回30バーツで診療を受けられる国民皆保険 | 貧困層の医療アクセスを一変させた。現在も継続 |
| 村落基金 | 全国約7万の村に100万バーツずつ交付 | 農村の資金需要に応えた。債務増加の批判も |
| OTOP | 一村一品運動(大分県の取り組みを参考に) | 地方の産品ブランド化 |
| 債務モラトリアム | 農民の債務返済を3年猶予 | 選挙での圧倒的支持につながった |
結果は劇的でした。2001年の総選挙で第一党となり、2005年には単独過半数を大きく超える圧勝。民選首相として初めて4年の任期を全うした人物となります。「農村が初めて自分たちの政府をもった」――これがタクシン現象の核心でした。
一方で批判も強まります。
- 麻薬撲滅戦争(2003年)――3か月で2,500人以上が超法規的に殺害されたとされる。
- 南部の紛争――2004年、深南部3県で武装闘争が再燃。4月28日の一連の襲撃(クルーセ・モスクを含め107人が死亡)と、タックバイ事件(拘束者85人が死亡)で不信が決定的になった。
- メディアと独立機関への影響力――系列企業によるメディア支配、機関への人事介入。
- 利益相反――2006年1月、一族がシン・コーポレーション株をシンガポール政府系ファンドへ約733億バーツで売却し、非課税だったことが激しい反発を招いた。
2004年12月26日にはスマトラ沖地震による津波がアンダマン海沿岸を襲い、タイ国内で5,400人以上(外国人観光客約2,000人を含む)が犠牲になりました。
14-2 2006年クーデターと、黄と赤の10年
2006年、民主市民連合(PAD、黄シャツ)が街頭に出ます。黄色は国王の生まれた曜日(月曜)の色であり、王室への忠誠の表明でした。4月の総選挙は野党のボイコットで無効となり、政治は膠着します。そして2006年9月19日、タクシンが国連総会出席で不在のあいだに、軍がクーデターを起こしました。
軍は2007年に新憲法を制定しますが、同年12月の総選挙ではタクシン派の国民の力党(PPP)が再び勝利。民意は変わっていなかったのです。2008年、黄シャツは首相府とスワンナプーム国際空港を占拠し、憲法裁判所がPPPを解散させて、民主党のアピシット政権が成立します。
今度は反独裁民主戦線(UDD、赤シャツ)が動きました。2010年3〜5月、バンコク中心部のラーチャプラソン交差点を数万人が占拠。軍による強制排除で90人以上が死亡しました。セントラルワールドが炎上した映像は、世界に流れています。
| 系統 | 政党 | 期間 | その後 |
|---|---|---|---|
| タクシン派 | タイ・ラック・タイ | 1998〜2007 | 2007年 解散命令 |
| タクシン派 | 国民の力党(PPP) | 2007〜2008 | 2008年 解散命令 |
| タクシン派 | タイ貢献党 | 2008〜 | セター/ペートンターン |
| 改革派(若い世代) | 新未来党 | 2018〜2020 | 2020年 解散命令 |
| 改革派 | 前進党 | 2020〜2024 | 2024年 解散命令 |
| 改革派 | 国民党(People's Party) | 2024〜 | 現在の最大野党 |
| 保守・軍系 | 民主党 | 1946〜 | タイ最古の政党 |
| 保守・軍系 | 国民国家の力党 | 2018〜 | プラユット政権を支えた |
| 保守・軍系 | タイ誇り党 | 2008〜 | アヌティン。2026年に第一党 |
憲法裁判所による政党の解散は、2006年以降だけで10件を超えます。党名は変わるが、支持基盤は続く。解散命令のたびに新しい党が受け皿となり、有権者の選択はおおむね維持されてきました。
⚠️ 「農村=赤/都市=黄」は単純化しすぎ
実際には、バンコクにも赤シャツ支持者は多く、東北部にも反タクシンの人びとがいます。対立の本質は地域よりも、「誰の判断が最終的に正統とされるか」という問いにあります。選挙の多数か、法と道徳の番人か。この問いはいまも決着していません。
14-3 インラック政権と2014年クーデター
2011年、タクシンの妹インラック・チナワットが率いるタイ貢献党が総選挙に勝ち、タイ初の女性首相が誕生しました。同年、記録的な大洪水が中部を襲い、日系企業の集まる工業団地が水没。サプライチェーンの寸断は世界的な影響を及ぼしました。
政権を揺るがしたのは、米担保融資制度(コメ買い上げ政策)です。市場価格の5割高で農民から米を買い上げる制度は、農家の所得を上げた一方で、巨額の財政赤字と在庫、そして汚職を生みました。
決定打は2013年11月の恩赦法案でした。国外にいるタクシンの帰国を可能にすると受け止められ、ステープ元副首相が率いるPDRCの大規模デモが始まります。2014年2月の総選挙は妨害により成立せず、2014年5月22日、陸軍司令官プラユット・チャンオーチャーがクーデターを宣言しました。
軍事政権(NCPO)は5年近く続きます。2017年に新憲法を公布し、上院250議席を全て軍が任命する仕組みを導入。2019年の総選挙後、この上院票を得てプラユットが首相に選出されました。
| 年 | 月 | できごと |
|---|---|---|
| 1932 | 6月24日 | 人民党による立憲革命(絶対王政の終焉) |
| 1947 | 11月 | 軍が復帰。翌年ピブーンが首相に |
| 1957 | 9月 | サリットがピブーンを追放 |
| 1958 | 10月 | サリットの自己クーデター。憲法停止 |
| 1971 | 11月 | タノームの自己クーデター |
| 1976 | 10月6日 | タマサート大学事件と同日 |
| 1977 | 10月 | クリアンサックが政権掌握 |
| 1991 | 2月 | スチンダーらNPKC |
| 2006 | 9月19日 | タクシン政権を打倒 |
| 2014 | 5月22日 | プラユットによるNCPO政権 |
1932年以降、タイでは成功したクーデターが12〜13回(数え方により異なる)、未遂を含めると20回以上が起きています。憲法は20回改められました。「クーデターの多い国」という評価は、この数字に基づいています。
14-3b 深南部――もうひとつの現代史
バンコクの政治対立とは別に、タイ最南部の3県(パッタニー、ヤラー、ナラーティワート)では、20年以上にわたり武力紛争が続いています。住民の8割以上がマレー系ムスリムで、話し言葉はマレー語の一方言(タイでは「ヤーウィー」と呼ばれる)、書き言葉にはアラビア文字系のジャウィ文字が使われ、宗教はイスラムです。第3章で見たパタニ王国の記憶が、この地域の歴史意識の核にあります。
2004年以降の犠牲者は7,000人を超え、その多くは民間人です。政府は開発予算の投入と対話を進めてきましたが、歴史認識の溝――「反乱の鎮圧」と見るか「植民地化への抵抗」と見るか――が埋まらないかぎり、根本的な解決は難しいとされています。第3章と第8章で見た国家統合の過程が、いまも現在進行形の課題として残っているのです。
14-4 ラーマ9世の崩御と新しい治世
2016年10月13日、ラーマ9世(プーミポン・アドゥンヤデート)が崩御しました。在位70年126日は、当時の世界最長です。国民は1年間の服喪に入り、街から色が消え、翌2017年10月の火葬式には数十万人が沿道を埋めました。
ラーマ10世(ワチラーロンコーン)が即位し、2019年5月に戴冠式が行われました。現在の治世では、王室資産の管理体制の変更(2017〜18年、王室資産局の資産が国王個人の名義に移された)や、近衛部隊の指揮系統の再編(2019年)などの制度変更が行われています。
14-5 2020年代――新しい世代の登場
2019年の総選挙で第3党となった新未来党(フューチャー・フォワード)は、若者の支持を集めましたが、2020年2月に憲法裁判所によって解散させられました。これを引き金に、高校生・大学生を中心とする抗議行動が全国に広がります。
2020年8月、タマサート大学の集会で参加者が掲げた10項目の要求は、王室に関する制度改革を公然と論じるもので、タイ社会にとって前例のない出来事でした。その後、不敬罪(刑法112条)による訴追が相次ぎ、2020年末以降、数百人が起訴されています。
2023年5月の総選挙では、新未来党の後継前進党(ムーブ・フォワード)が第一党となりましたが、軍が任命した上院の反対で首相を出せませんでした。代わってタイ貢献党のセター・タウィシンが首相となり、同じ日にタクシンが15年ぶりに帰国します(のち恩赦により早期釈放)。2024年8月、憲法裁判所はセターを失職させ、タクシンの娘ペートンターン・チナワットが37歳で首相に就任しました。
14-6 2025〜2026年――いま起きていること
2025年7月、タイとカンボジアの国境地帯で、過去10年以上で最悪の武力衝突が起きました。民間人を含む数十人が死亡し、双方で30万人以上が避難。5日間の戦闘を経て停戦が成立しましたが、緊張は続いています。背景には、プレアビヒア寺院をめぐる領有権問題があります。この遺跡は1962年の国際司法裁判所判決でカンボジア領と認定されましたが、周辺地域の帰属は未解決のままで、2008年の世界遺産登録を機に対立が再燃しました。国境が1907年のフランスとの条約に基づく地図に依拠している点で、第8章で見た領土問題の延長線上にあります。
この紛争のさなか、ペートンターン首相とカンボジアのフン・セン上院議長との電話会談の音声が流出し、対応の弱さが批判されました。2025年8月29日、憲法裁判所は首相の失職を命じます。9月5日、下院はアヌティン・チャーンウィーラクーン(タイ誇り党)を首相に選出しました。彼は「4か月以内の解散総選挙」を条件に、野党である国民党(前進党の後継)の支持を取りつけたのです。
約束どおり、2025年12月12日に下院が解散され、2026年2月8日に総選挙が実施されました。同時に憲法改正の是非を問う国民投票も行われ、改憲手続きを進めることが約6割の賛成で承認されています。総選挙ではタイ誇り党が第一党となり、3月19日、アヌティンが首相に再任されました。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| ① 憲法改正 | 2017年憲法(軍政期の制定)を、公選の制憲議会で書き換えられるか。王室関連条項の扱いが最大の争点。 |
| ② カンボジアとの関係 | 国境画定、地雷、避難民、そして国境地帯の詐欺拠点問題。 |
| ③ 経済 | 家計債務はGDP比で約9割。低成長と高齢化のなかで、どう成長を取り戻すか。 |
| ④ 世代間の断層 | 王室・軍・仏教という伝統的な柱をめぐり、若い世代と年長世代の見方が大きく分かれている。 |
| 期間 | 首相/出来事 | 要点 |
|---|---|---|
| 2001〜06 | タクシン・チナワット | TRT党。30バーツ医療・村落基金。2005年に再選 |
| 2006.9 | クーデター | 軍が政権を掌握。2007年憲法を制定 |
| 2008 | サマック→ソムチャイ | タクシン派政権。黄シャツが官邸と空港を占拠 |
| 2008〜11 | アピシット | 民主党政権。2010年に赤シャツのデモを鎮圧(90人以上死亡) |
| 2011〜14 | インラック・チナワット | 初の女性首相。米担保融資制度と恩赦法案で紛糾 |
| 2014.5 | クーデター | プラユット陸軍司令官が実権を掌握 |
| 2014〜23 | プラユット | 2017年憲法、2019年総選挙を経て続投 |
| 2023〜24 | セター・タウィシン | タイ貢献党。2024年8月に憲法裁判所が失職を命じる |
| 2024〜25 | ペートンターン・チナワット | タクシンの娘。2025年8月に失職 |
| 2025〜 | アヌティン・チャーンウィーラクーン | タイ誇り党。2026年2月の総選挙を経て再任 |
これからのタイが向き合う構造的な課題
- 高齢化――2022年に高齢社会(65歳以上が14%超)入り。「豊かになる前に老いる」国と言われる。
- 家計債務――GDP比約90%は東南アジアで突出して高い。
- 中所得国の罠――労働集約型の輸出モデルからの転換が課題。EV産業への転換が進む。
- 深南部――2004年以降の犠牲者は7,000人を超える。和平対話は断続的に続く。
- 地政学――米中双方と関係を保つ伝統的な「竹の外交」が、より難しくなっている。
📍 現代史を歩く
ラーチャプラソン交差点(BTSチットロム〜サイアム)――2010年の赤シャツ占拠と強制排除の現場。いまはショッピングモールが並び、痕跡はほとんど残っていません。
王宮前広場(サナームルアン)――ラーマ9世の火葬式が行われた場所。戦勝記念塔と民主記念塔とあわせて歩くと、20世紀タイの記念碑が一日でたどれます。
まとめ
- タクシンは再分配政策で農村の支持を得たが、権力集中と人権問題で批判された。
- 2006年・2014年のクーデターと、黄シャツ・赤シャツの対立が20年続いた。
- 2016年にラーマ9世が崩御し、ラーマ10世の治世となった。
- 2020年代には若い世代が王室制度を含む改革を公然と論じ、世代間の断層が可視化された。
- 2025年の首相交代と2026年の総選挙・国民投票を経て、憲法改正が最大の政治課題となっている。
章末チェック
1. タクシン政権の主要政策を3つ挙げなさい。
30バーツ医療/村落基金/OTOP(農民債務のモラトリアムも可)
2. 2006年と2014年のクーデターの年月と、それぞれ倒された政権を答えなさい。
2006年9月19日にタクシン政権、2014年5月22日にインラック政権(当時は暫定内閣)
3. 黄シャツと赤シャツの主張のちがいを説明しなさい。
赤シャツは選挙で選ばれた政府の正統性を重視、黄シャツは買票政治批判と道徳・秩序を重視
4. 2017年憲法が政権選択に与えた影響を説明しなさい。
上院250議席を軍が任命し、首相選出に参加させたため、2019年に軍系のプラユットが選ばれ、2023年に第一党の前進党が首相を出せなかった
5. 2025年から2026年にかけての政治的な出来事を時系列で説明しなさい。
2025年7月にカンボジアとの武力衝突、8月にペートンターン失職、9月にアヌティン首相就任、12月に下院解散、2026年2月8日に総選挙と憲法改正国民投票、3月にアヌティン再任
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