バンコク遷都とラッタナコーシン初期
1782年 〜 1851年(ラーマ1世〜3世) (1782–1851)
この章の要点
- ラーマ1世はアユタヤの制度と文化を意識的に復元し、国家の骨格を再建した。
- ラーマ3世の時代、対中貿易と徴税請負制で国庫は潤い、華人移民が急増した。
- 1826年のアヌウォンの反乱は、ラオスとイサーンのその後を決定づけた。
1782年、チャクリー将軍はチャオプラヤー川の東岸に新しい都を築きました。現在のバンコクです。最初の3代の王がしたことは、失われたアユタヤの再建でした。法典を編み、仏典を校訂し、王宮を旧都に似せて建てる。その一方で、地平線の向こうからは新しい脅威――ヨーロッパ列強――が近づいていました。
7-1 なぜ川を渡ったのか――遷都の理由
1782年4月21日、ラーマ1世は都をトンブリーから対岸の東岸へ移す儀式を行いました。この日はいまもバンコク創建記念日とされています。西岸のトンブリーは川が湾曲して両岸に分かれ、防衛線が長くなるうえ、西からのビルマの脅威に正面から向き合う位置にありました。東岸なら、川そのものが西からの防壁になります。
新都の設計思想は明快でした。アユタヤをもう一度つくる。東岸に運河を掘って人工の「島」(ラッタナコーシン島)をつくり、城壁と砦で囲む。中心に王宮と王室寺院ワット・プラケーオを置き、その前に儀式用の広場(サナームルアン)を配する。都の正式名称は「クルンテープ・マハーナコーン…」と続く長大なもので、その一節には「アユタヤの再来」という意味が含まれています。
1782年 新都バンコクの設計
城壁の内側には王族と官人が住み、旧トンブリー時代から川岸に住んでいた華人商人は、城外南側のサンペーンへ移されました。これが現在のヤワラー(チャイナタウン)の起源です。
7-2 ラーマ1世――国家の再建
初代ラーマ1世(プッタヨートファー・チュラーロック、在位1782〜1809)の課題は、失われた「型」を取り戻すことでした。
| 王 | 在位 | 事績 |
|---|---|---|
| ラーマ1世 | 1782〜1809 | 遷都・王宮造営。三印法典(1805)と仏典結集で国の骨格を再建 |
| ラーマ2世 | 1809〜1824 | 文芸の王。スントーンプーら詩人を庇護。西洋との接触が再開 |
| ラーマ3世 | 1824〜1851 | 対中貿易で財政を潤す。ワット・ポーに知識を刻む。西洋への警戒 |
三印法典(1805年)
アユタヤの法典は戦火で散逸し、残った写本も矛盾を含んでいました。ラーマ1世は学者を集めて全面的な校訂を行わせ、三印法典(กฎหมายตราสามดวง)として編纂します。「三印」とは、マハータイ・カラーホム・クランの三長官の印章を押して正本としたことに由来します。この法典は、1908年に近代刑法が制定されるまで、100年以上にわたってシャムの基本法でした。
仏教の再建と文学
1788年には大規模な仏典結集を行い、パーリ三蔵を校訂。破壊された寺院を再建し、地方から仏像を集めてバンコクに安置しました。また王自身が『ラーマキエン』(インドの叙事詩ラーマーヤナのタイ版)を宮廷文学として完成させています。ワット・プラケーオの回廊には、その全場面が壁画として描かれています。
九軍の戦い(1785〜86年)
新王朝の最初の試練は、ビルマのボードーパヤー王による大侵攻でした。ビルマは9つの軍を編成し、五方面から同時に攻め込みます。シャム側は主力を西部カンチャナブリー方面に集中させて撃退し、以後ビルマがシャム中枢を脅かすことはなくなりました。
💭 プーケットを守った姉妹――ターオ・テープカサットリーとターオ・シースントーン
九軍の戦いのさなか、プーケット島にもビルマ軍が迫りました。太守が急死して指揮官を失った島で、その妻チャンと妹ムックが住民を組織し、女性たちにも武器を持たせて城壁に立たせ、約1か月の籠城の末に撃退したと伝えられます。
ラーマ1世は二人にターオ・テープカサットリー、ターオ・シースントーンの称号を与えました。プーケット空港からタウンへ向かう幹線道路のロータリーに立つ二人の像は、島でもっとも重要な記念碑です。スリヨータイ、クンイン・モーと並び、タイの教科書に登場する女性の英雄の一人です。
7-3 ラーマ2世――文芸の時代と西洋の再来
ラーマ2世(ルートラーナパーライ、在位1809〜1824)の治世は、戦争が少なく、文化が花開いた時代です。王自身が詩人・彫刻家で、ワット・アルンの大改修を行い、宮廷にはスントーンプー(สุนทรภู่)が仕えました。彼の物語詩『プラ・アパイマニー』は、タイ文学の最高傑作とされ、1986年にユネスコが「世界の偉人」として顕彰しています。
同じ時期、ヨーロッパ勢力が再びやってきます。1818年にポルトガルと関係を回復し、1822年にはイギリス東インド会社の使節ジョン・クロフォードが来訪。通商条約の交渉は不調に終わりましたが、隣国ビルマでの英緬戦争(1824〜26)を目の当たりにしたシャムは、イギリスの実力を知ることになります。
7-4 ラーマ3世――繁栄と警戒
ラーマ3世(ナンクラオ、在位1824〜1851)は、王子時代から貿易を差配した実務家でした。その治世でシャムの財政は大きく好転します。鍵は対中ジャンク貿易と、徴税請負制(เจ้าภาษีนายอากร)でした。
ラーマ3世期の財政のしくみ
この時代、労働力を求めて中国南部(とくに潮州)から大量の移民が流入しました。彼らは人頭税を払えば労役を免除される立場にあり、商業・製糖・胡椒栽培・港湾労働の担い手となります。現在のタイ社会における華人系の存在感は、この時期に基礎が築かれました。
アヌウォンの反乱(1826〜28年)
1826年、ヴィエンチャン王アヌウォン(เจ้าอนุวงศ์)がシャムに反旗を翻しました。彼は「バンコクがイギリスと戦争になる」との情報をつかみ、好機と判断して南下。コラート(ナコンラーチャシーマー)まで進みますが、シャム軍の反撃に遭って敗走します。
シャム軍はヴィエンチャンを徹底的に破壊し、住民を大量にメコン右岸(現在のイサーン)へ移住させました。アヌウォンは捕らえられ、バンコクで死去。この事件は、ラオスにとっては民族的英雄の悲劇、タイにとっては反乱の鎮圧という、まったく異なる語られ方をしています。
💭 タイとラオスで正反対の英雄
ヴィエンチャンの中心部には、メコン川に向かって手を差し出すアヌウォン王の巨大な像が立っています。ラオスでは彼は「シャムの支配に抗した英雄」です。
一方タイの教科書では、コラートで敵をあざむいたとされる女性クンイン・モー(ターオ・スラナーリー)が英雄として描かれます。コラート市街の彼女の像は、いまも市民の信仰を集めています。同じ事件が、国境の両側でまったく違う物語になる――歴史の政治性を示す好例です。
西洋への警戒と、ワット・ポーの「大学」
ラーマ3世は西洋への警戒を最後まで解きませんでした。1826年にイギリスとバーニー条約を結び、限定的な通商を認めたものの、王室独占の枠組みは維持します。ベトナムとはカンボジアの支配をめぐって長い戦争(1833〜47)を戦いました。
その一方で、彼は知識の保存に力を注ぎます。ワット・ポーの境内に、医学(マッサージの経絡図を含む)、天文、文学、歴史、地理などの知識を石板に刻ませ、誰でも学べるようにしました。「タイ最初の大学」と呼ばれるゆえんで、2011年にはこの碑文群がユネスコ「世界の記憶」に登録されています。
❝ ラーマ3世の遺言とされる言葉
ビルマやベトナムとの戦争は、もう終わった。これから警戒すべきは西洋人である。彼らの良いものは学び、だが決して見下されてはならない。
次のラーマ4世・5世の近代化路線を予告するものとして、タイの教科書に必ず引用される。
📍 王宮とワット・ポーは半日コース
王宮+ワット・プラケーオは朝いちばん(8時30分開門)が空いています。ラーマキエンの回廊壁画をひと回りしてから、歩いて5分のワット・ポーへ。涅槃仏の裏手にある石碑と、経絡図のレリーフを探してみてください。
そのまま渡し船でワット・アルンへ渡れば、ラーマ2世の大改修の跡が見られます。
まとめ
- 1782年、ラーマ1世がチャオプラヤー川東岸に遷都。アユタヤの都市構造を意識的に再現した。
- 三印法典(1805)と仏典結集(1788)で、法と宗教の秩序を再建した。
- ラーマ2世期は文芸の時代。スントーンプーが活躍し、西洋との接触が再開した。
- ラーマ3世期は対中貿易と徴税請負制で財政が好転し、華人移民が急増した。
- 1826〜28年のアヌウォンの反乱の結果、ラオ人がメコン右岸へ移住し、イサーンの原型ができた。
章末チェック
1. バンコク遷都の年月日と、東岸が選ばれた軍事上の理由を答えなさい。
1782年4月21日。川そのものが西(ビルマ方面)からの防壁になるため
2. 三印法典の名の由来と、いつまで使われたかを説明しなさい。
マハータイ・カラーホム・クランの三長官の印を押して正本としたことに由来。1908年の近代刑法制定まで
3. ラーマ3世期の財政を支えた2つの仕組みを挙げなさい。
対中ジャンク貿易と徴税請負制
4. アヌウォンの反乱の結果、イサーンにどのような変化が起きたか。
ヴィエンチャンが破壊され、ラオ人住民がメコン右岸へ大量に移住し、現在の人口構成の原型ができた
5. ワット・ポーが「タイ最初の大学」と呼ばれる理由を述べなさい。
医学・天文・文学・歴史などの知識を石板に刻み、広く公開したため(世界の記憶に登録)
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